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品 浮世絵 版画 月岡芳年|画 月百姿 吼噦 つきのひゃくし こんかい 約縦330×横230mm カラー版画 SNA 1240831F
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商品の詳細
【希少品⭐️浮世絵 版画】
月岡芳年/画
月百姿「吼噦」
つきのひゃくし こんかい
約縦330×横230mm
カラー版画
⭐️ 夜の闇を照らす「月」は、いつの時代も人々を魅了する存在であり、月岡芳年も晩年に月を題材にした物語や伝承、歌舞伎などを描いた揃い物の歴史絵「月百姿」(つきひゃくし)を版行しました。
⭐️ 明治時代初期、最後の浮世絵師とも称される天才絵師
月岡芳年は、1839年(天保10年)、江戸の商家・吉岡家に誕生。
本名は「吉岡米次郎」(よしおかよねじろう)。
1865年(慶応元年)までに、叔父の「京屋織三郎」(きょうやおりさぶろう)の養子となり、その後、大叔父で画家の「月岡雪斎」(つきおかせっさい)の姓を継いでいます。
1850年(嘉永3年)12歳のときに、「武者絵の国芳」として一世を風靡していた「歌川国芳」(うたがわくによし)に師事。
月岡芳年は、3年後の1853年(嘉永6年)に、武者絵の三枚続「文知元年平家の一門亡海中落ち入る図」にてデビューしました。
その後目立った活躍は見られませんが、デビューから5年後の1858年(安政5年)に刊行された「江戸の花子供遊びの図」を始め、武者絵や妖怪絵、故事を題材とした作品を数多く発表。当時は、ペリーの来航や尊王攘夷運動など、世相が慌ただしく移り行く動乱の時代であり、1861年(文久元年)には、師匠の歌川国芳が逝去。
浮世絵の全盛期を支えた浮世絵師からの世代交代が進んだ時期とも言われています。
月岡芳年も、初期こそ歌川国芳の影響が感じられる画風ですが、写生に強いこだわりを持ちながら妖怪や幽霊など架空の生き物を描くことも得意とし、徐々に頭角を現すようになっていきました。
まず、1864年(元治元年)に発表した揃い物の錦絵「通俗西遊記」が注目を集めます。
しかし、月岡芳年の名を世間に轟かせたのは、翌年の1865年(慶応元年)、月岡芳年が27歳のときに発表した、兄弟子「落合芳幾」(おちあいよしいく)との競作「英名二十八衆句」(えいめいにじゅうはっしゅうく)です。
歌舞伎の残虐なシーンを描いた連作で、目を背けたくなるほどの生々しい血しぶき、切り口から血が滴るグロテスクな作風が高く評価され、「血みどろ絵の芳年」と称されるほど人気を博します。
その後も、1872年(明治5年)には、「戊辰戦争」を題材にした連作「魁題百撰相」(かいだいひゃくせんそう)を発表するなど精力的に活動しますが、間もなく強度の神経衰弱に陥り、一時筆を置くことに。
病から奇跡的に回復した1873年(明治6年)以降は、「大蘇芳年」(たいそよしとし)の画号を名乗りました。浮世絵が衰退し始めた時代においても、時事的な事柄を取り扱う新聞で挿絵を描き、浮世絵が新しく活躍できる場を見出しています。
生涯に亘り神経衰弱に悩まされたと言われていますが、「水野年方」(みずのとしかた)など、優秀な門徒にも恵まれました。
1892年(明治25年)、月百姿の制作を終えると、54歳という若さで生涯を終えたのです。
絵師として描いた作品は、浮世絵だけでなく、新聞の挿絵、肉筆画も含めて10,000点にものぼると言われています。
⭐️『月百姿』つきのひゃくしは、月岡芳年が1885年(明治18年)から1892年(明治25年)数え47歳から54歳の時に発表した浮世絵の連作。
月をテーマとした全100点揃物の大判錦絵である。
のべ8年を掛けて完結し、1892年(明治25年)6月の芳年の死の直後に100作品に目録と序文を添えた画帖が発売された。
後述するように幅広い画題と多彩な画風を駆使して描かれ、芳年の最後の大作・代表作の一つと評価されている。
本作における画号は大蘇芳年。
署名は月岡米次郎(本人)。
版元は日本橋の滑稽堂秋山武右衛門。
⭐️ 「吼噦」こんかい
狐の鳴き声を表す語。
こんこん。
また、狐のこと。
⭐️希少なコレクション、額装インテリアとして、ご検討いただければと存じます。
◾️ジャンル:浮世絵 版画
◾️作者名:月岡芳年 つきおかよしとし/画
◾️版元印:日本橋室町 滑稽堂秋山武右衛門
◾️その他署名等:画像を参照ください
◾️資料名:月百姿「吼噦」
つきのひゃくし こんかい
◾️サイズ:約縦330×横230mm
◾️判型:大判
◾️時代:明治
◾️付属品はありません、版画一枚のみ
◾️状態
こちらの商品はどのような経緯で保管されて巡り巡って来たかは不明ですが、前オーナー様よりのご依頼品となります。
版画は古いもので経年保管に伴います細かな擦れキズ角切れ等はございます。
左下の赤い字の署名部分が左半分画切れしています。予めご了承ください。
全体的な状態としてはまずまずの版面と思います。
版画は同じような絵柄や異なる色彩で世の中に多々出回りますので、本品はそのうちの一枚ということをご理解ください。
※状態に関しましては主観の部分もございますので、必ず写真をご覧の上ご理解の頂ける方ぜひご検討ください。
また各部チェックの際に見落としている箇所も場合によってはありますこと予めご了承ください。
※あくまでも新品です。完璧を求める方はご遠慮ください。
ノークレーム/ノーリターン/ノーキャンセルでお願いいたします。
※ 画像は光の加減などにより実物の色と異なる場合がございます。ご使用のモニターによっても実物と色彩の差があることをご承知おきください。
………
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240916
月岡芳年/画
月百姿「吼噦」
つきのひゃくし こんかい
約縦330×横230mm
カラー版画
⭐️ 夜の闇を照らす「月」は、いつの時代も人々を魅了する存在であり、月岡芳年も晩年に月を題材にした物語や伝承、歌舞伎などを描いた揃い物の歴史絵「月百姿」(つきひゃくし)を版行しました。
⭐️ 明治時代初期、最後の浮世絵師とも称される天才絵師
月岡芳年は、1839年(天保10年)、江戸の商家・吉岡家に誕生。
本名は「吉岡米次郎」(よしおかよねじろう)。
1865年(慶応元年)までに、叔父の「京屋織三郎」(きょうやおりさぶろう)の養子となり、その後、大叔父で画家の「月岡雪斎」(つきおかせっさい)の姓を継いでいます。
1850年(嘉永3年)12歳のときに、「武者絵の国芳」として一世を風靡していた「歌川国芳」(うたがわくによし)に師事。
月岡芳年は、3年後の1853年(嘉永6年)に、武者絵の三枚続「文知元年平家の一門亡海中落ち入る図」にてデビューしました。
その後目立った活躍は見られませんが、デビューから5年後の1858年(安政5年)に刊行された「江戸の花子供遊びの図」を始め、武者絵や妖怪絵、故事を題材とした作品を数多く発表。当時は、ペリーの来航や尊王攘夷運動など、世相が慌ただしく移り行く動乱の時代であり、1861年(文久元年)には、師匠の歌川国芳が逝去。
浮世絵の全盛期を支えた浮世絵師からの世代交代が進んだ時期とも言われています。
月岡芳年も、初期こそ歌川国芳の影響が感じられる画風ですが、写生に強いこだわりを持ちながら妖怪や幽霊など架空の生き物を描くことも得意とし、徐々に頭角を現すようになっていきました。
まず、1864年(元治元年)に発表した揃い物の錦絵「通俗西遊記」が注目を集めます。
しかし、月岡芳年の名を世間に轟かせたのは、翌年の1865年(慶応元年)、月岡芳年が27歳のときに発表した、兄弟子「落合芳幾」(おちあいよしいく)との競作「英名二十八衆句」(えいめいにじゅうはっしゅうく)です。
歌舞伎の残虐なシーンを描いた連作で、目を背けたくなるほどの生々しい血しぶき、切り口から血が滴るグロテスクな作風が高く評価され、「血みどろ絵の芳年」と称されるほど人気を博します。
その後も、1872年(明治5年)には、「戊辰戦争」を題材にした連作「魁題百撰相」(かいだいひゃくせんそう)を発表するなど精力的に活動しますが、間もなく強度の神経衰弱に陥り、一時筆を置くことに。
病から奇跡的に回復した1873年(明治6年)以降は、「大蘇芳年」(たいそよしとし)の画号を名乗りました。浮世絵が衰退し始めた時代においても、時事的な事柄を取り扱う新聞で挿絵を描き、浮世絵が新しく活躍できる場を見出しています。
生涯に亘り神経衰弱に悩まされたと言われていますが、「水野年方」(みずのとしかた)など、優秀な門徒にも恵まれました。
1892年(明治25年)、月百姿の制作を終えると、54歳という若さで生涯を終えたのです。
絵師として描いた作品は、浮世絵だけでなく、新聞の挿絵、肉筆画も含めて10,000点にものぼると言われています。
⭐️『月百姿』つきのひゃくしは、月岡芳年が1885年(明治18年)から1892年(明治25年)数え47歳から54歳の時に発表した浮世絵の連作。
月をテーマとした全100点揃物の大判錦絵である。
のべ8年を掛けて完結し、1892年(明治25年)6月の芳年の死の直後に100作品に目録と序文を添えた画帖が発売された。
後述するように幅広い画題と多彩な画風を駆使して描かれ、芳年の最後の大作・代表作の一つと評価されている。
本作における画号は大蘇芳年。
署名は月岡米次郎(本人)。
版元は日本橋の滑稽堂秋山武右衛門。
⭐️ 「吼噦」こんかい
狐の鳴き声を表す語。
こんこん。
また、狐のこと。
⭐️希少なコレクション、額装インテリアとして、ご検討いただければと存じます。
◾️ジャンル:浮世絵 版画
◾️作者名:月岡芳年 つきおかよしとし/画
◾️版元印:日本橋室町 滑稽堂秋山武右衛門
◾️その他署名等:画像を参照ください
◾️資料名:月百姿「吼噦」
つきのひゃくし こんかい
◾️サイズ:約縦330×横230mm
◾️判型:大判
◾️時代:明治
◾️付属品はありません、版画一枚のみ
◾️状態
こちらの商品はどのような経緯で保管されて巡り巡って来たかは不明ですが、前オーナー様よりのご依頼品となります。
版画は古いもので経年保管に伴います細かな擦れキズ角切れ等はございます。
左下の赤い字の署名部分が左半分画切れしています。予めご了承ください。
全体的な状態としてはまずまずの版面と思います。
版画は同じような絵柄や異なる色彩で世の中に多々出回りますので、本品はそのうちの一枚ということをご理解ください。
※状態に関しましては主観の部分もございますので、必ず写真をご覧の上ご理解の頂ける方ぜひご検討ください。
また各部チェックの際に見落としている箇所も場合によってはありますこと予めご了承ください。
※あくまでも新品です。完璧を求める方はご遠慮ください。
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値下 セット売り 品 浮世絵 版画 月岡芳年|画 月百姿 吼噦 つきのひゃくし こんかい 約縦330×横230mm カラー版画 SNA 1240831F 品数豊富。
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